「野に遺賢なし」とは、「すぐれた人物はすべて官について民間に残っていない。人材が集まって正しい政治が行われていることをいう。」のだそうだ。(コトバンクより)
「すべて官について」というのは、まあ、昔のことだから活躍の場といえば官吏くらいだからそう言ったのであって、今の時代なら、才能のある人はすべて、その才能を活かせる職業についているというようなことになるだろうか。
その言い方でいえば、就職氷河期の10年は、野に遺賢ゴロゴロの状態を作ったのではないだろうか。
意に染まぬ仕事につき、鬱々としていたり、それでも就職できればいい方だったりする。
そのことを実感するような出来事に遭遇した。
障害者支援のボランティアの資格を取るための講座に、びっくりするくらい優秀な人がたくさん集まって来るという話を聞いたのだ。
ボランティアの講座と言っても、出席しておとなしく座っていれば、それだけで資格が得られるというものではない。
制度が変更されてからは、半年に渡る長丁場で、出欠も厳しい。
更に資格試験は、合格率2割という難しさ。
とてもやっていられないわ、と見向きもされないのではないかと危惧されたが、蓋を開けてみると、前述したような状況になった。
ここからは私の想像だが、野にある遺賢としては、まず難しい試験で自分の能力を正当に評価されることに意義を見出したのではないか。
また、資格を取ってからも、厳しい現場で能力を発揮し、正当に評価されることは、現在の満たされない思いを補ってくれるものなのかも知れない。
就職氷河期の犠牲になった人材を救おうという動きもあると聞く。
どういうふうになっていくのか注視したい。