戸籍に残された、早世した兄姉の記録

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ミソハギのはな。当地では「ぼに(ぼに)ばせ」と呼び、お盆の供花として用いる

先日、弟からメールがあった。

父の戸籍の中に昭和25年に亡くなった姉の名前が見当たらないという内容だった。

私たち兄弟姉妹は元々6人いたが、昭和19年に兄が2歳で亡くなり、昭和25年に姉が5歳で亡くなっていた。

 

従って戦後生まれの我々兄弟は、早世した兄も姉も私が生まれる前のことだったり、生まれていても小さくて覚えていない。昭和26年生まれの弟は存在すらしていなかったことだ。

弟のメールには5歳まで生きた姉の存在が現在の戸籍で証明できないのはかわいそうな気がしますとあった。

 

そこで、長いこと行政で戸籍事務に携わっていた知人に聞いてみた。

知人の話によれば、旧戸籍法では一族はすべて戸主の戸籍に記載されていた。

 

昭和22年に現行戸籍法が制定され、昭和23年に施行された。

これにより結婚にともない新戸籍を作り、戸主の戸籍から独立することになった。

いわゆる家制度が否定されたわけだ。

 

何分、膨大な数の新戸籍である。

新戸籍編成の作業は数年間の経過措置の中で進められた。

従って新戸籍編成が間に合った人、間に合わなかった人によって、新戸籍に記載された人と、旧戸籍に記載されたままの人に別れたというような話だった。

 

ということで姉の場合は間に合わなくて、旧戸籍の戸主(祖父)の戸籍に記載されていることが判明した。

 

昭和22年生まれの私は、いったん祖父の戸籍に記載されたうえで、新戸籍編成に伴い、父の新戸籍に記載されというわけだ。本来ならば、姉の戸籍も父と同じ戸籍に編成されていたはずだが、父の新戸籍ができたのは、昭和26年3月3日。

この年、弟の出生届と同じ日だ。

出生届が出たことで、大急ぎで新戸籍を編製したと推測できる。

 

 

そしてもう一つは、戦時下、二歳で亡くなった兄のことだ。。

 

もう20年も前のことだが、亡くなっている兄の名前が父の戸籍に抹消されずに残っていることに気が付いた。

これはどうしたことかと思いながら、このまま放置してはいけないだろうと考えて町役場に相談すると、本籍地を管轄する広島法務局に連絡を取ってくれた。

 

そして、法務局から電話が入った。恐らく戦争中の混乱が原因だろうという。

戸籍を抹消する必要があるので、亡くなった当時の具体的な状況、戒名などを調べること。

そして両親等当事者から直接事情聴取したいとの連絡があった。

 

当時、父親が存命していたが記憶が衰えていた。

位牌も戒名を紙に書いて張り付けていたがいつしか剥がれて、思い出すことも困難な状態だった。

 

過去帳を持つお寺さんは本堂の火災で過去帳を消失していた。

当時、リハビリのため父親に付き添って散歩していたカミさんが、突然父の口から「真月了然童子」という戒名が突いて出てびっくりしたといった。

これが戦争中に亡くなった息子の戒名ですと言ったという。

父親は必死で、息子の戒名を思い出していたのだった。

 

 

兄が亡くなったときの詳しい状況は横浜に住んでいた叔母が、法務省からの問い合わせの電話に対応してくれた。

荼毘に付す際に燃料を用意しなければならなかったこと。

苦労して燃料を集め、男手がない中を、炎天下大八車に薪を積んで運んだという話に現実味があった。

「本当にいい子だったんでございますよ。どうぞ成仏できるようにしてやってくださいましね。」と涙ながらに訴えてくれたという。

 

広島から来た係官との面接が役場であった。

父を連れて面接に立ち会った。父は立派に受け答えしていた。

係官は十分に納得した様子だった。

かくして実に半世紀を経て戸籍が訂正された。

 

早世した二人の兄姉が戸籍に残した思い出話です。

 

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