東洋のマチュピチュ 知らなかったけど、見る価値ありです。

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職場の旅行で別子銅山に行ったことがある。

 

知らなかったけれど、銅山の跡地を整備してマイントピア別子とか、跡地の遺産を東洋のマチュピチュと称して観光地として売り出している。

場所は新居浜市から深い山の中に入る。

標高700メートルのところに、かっては8000人も暮らしていたと言う。

 

元々、別子銅山は住友家が開発に着手し、これが元で住友は発展したと言う。

そういえば、足尾は古河電工であり、岡山の柵原鉱山は同和鉱業だから、銅山を所有した事業家はその後の大企業に成長したようだ。

 

ところで、別子銅山に行く道中、四国出身の幹事に「別子銅山は山の中にあるんかいな。島じゃあなかったの」と素朴に質問して「山に決まっとるがあ」と笑われた。

私の中では子供の頃からなぜか、別子銅山は島の中にあった。

社会科で覚えた記憶が残っているのだ。

 

帰宅してから、インターネットのウィキペディア別子銅山を読んでいて四阪島の項を見て思い出した。

そういえば、四阪島に精錬所があったのだ。四阪島は新居浜市の沖合いにある。

 

足尾銅山は大鉱毒事件を起こしたが、別子銅山では少し違った。

別子銅山の山も、精錬所の燃料と精錬所から出る硫黄ガスの影響で禿山になったが、精錬所を四阪島に移し、植林を続けることで山をよみがえらせた。

そして、その材木を使って住友林業を興したのだと案内人が言っていた。

ああこういうことだったかと納得した。

 

なお、精錬所を四阪島に移転させた後も煙害問題が続いたようだが、住友は煙害対策や賠償問題を前向きに捉えて、話し合いを続けたと書いてあったから、足尾事件とはだいぶ対応が違ったのだろう。

 

写真はマイントピア別子(絵葉書より)