初めての飛鳥クルーズ・2泊3日(3日目)

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日の出

3日目 6時前に起床。6時過ぎウオーキングに出る。

 

まだ薄暗い中、昨日と同じ7番デッキを歩く。

船は紀伊水道を北上。右が紀伊半島、左が淡路島。従って紀伊半島の方向から太陽が昇る。

丁度、日の出の太陽の光の中に船体に独特のマークのあるフェリー「サンフラワー号」が重なって航行していた。

サンフラワー号の時刻表を見ると志布志湾(鹿児島)発大阪行きだった。

大阪港には午前8時50分着となっており、飛鳥が神戸港に9時着だからサンフラワー号に間違いないと思った。

 

6時30分過ぎに部屋に戻り、最終の荷造りをして7時までに廊下に出す。

そうするとボーイが、神戸港の旅客ターミナルまで運んでくれる。

 

それから食事に行く。今朝も朝食は和食。

 

メニューは豆苗の胡麻浸し、炒り豆腐、ねぶた漬け、里芋鶏そぼろ掛け、塩じゃけ火取り、あおさと豆腐の味噌汁、納豆、温泉卵、香の物。

 

しかし和食もなんでこんなにおどろおどろしいネーミングにするのか、頭が痛くなる。

特にサプライズはなく、味も普通だった。

少量多品種で女性向と言えるが、船内では食べる機会が多いので朝食も夕食も控えめに出しているのだろうと思った。確かにお代わりをする人も見かけなかった。

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水先案内人

 

神戸港入港は30分以上かけてゆっくりと接岸する。

11番デッキに上がり、コーヒーをいただきながら入港風景を見る。

 

最終の接岸までは3人の航海士が、タッグボートや操舵室と無線で連絡を取りながら、操船しているようだった。

接岸のための操船場所は船首に近いところにあり、少し海にセリ出ているように見えた。

 

「今船は止まっているんですか、動いているんですか」と声をかけると、背広を着た水先案内人の責任者のような人が「動いてますよ。少し先の対岸を見ていれば、建物がずれていくのがわかるでしょう。」と笑いながら答えた。

航海士の責任者が制帽を手に取って、入港を見守る人たちに振っていた。

一つの入港ショーのようなものだと思いながら接岸するまで見ていた。

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神戸入港

神戸港のシンボルとなっているホテルオークラ神戸やポートタワー、海洋博物館などの特徴的な建物が並ぶ。

これらを背景に飛鳥が停泊しているのは、絵になる光景だろうと思う。

乗客の利便性から言えばポートライナーの駅近くの埠頭に停泊したいのだが、神戸市の要望であえてこちらに停めるのだと、他の客の問いに答えて、船長が言っていた。

 

港には岡山両備バスが来ていた。

今日はこれから奈良で開かれている正倉院展と、京都の宇治平等院を鑑賞するコースとなっている。

今回は旅行会社の広告を見て飛びついたが、後から考えると、奈良京都は余計だったように思う。

クルージングに特化した船旅だけでよかった。

 

<飛鳥クルーズ総括>

① クルーズの基本は航海を楽しむことだ。いいお天気、穏やかな海を進む船から、遠望する陸や島を眺め、航行する船を見ながらゆっくり過ごすことは最高の贅沢だと思った。

 

② 飛鳥の食事は皆さん口々に最高だと言うけれど、過度の期待は禁物だ。美味しくはあるけれどサプライズはないというのが私の感想。大体、クルーズ中に最高に美味しいものという要求は無理難題というものだ。1000人規模の食事を用意する中で、平均点以上の水準であれば、それが最高なのだと思う。

 

③ クルーズは洋上の生活をいかに楽しむかということであり、その意味では洋上で開催されるショーや各種の教室などが、自分の生活や人生と何らか関わっているようなものがあるのがいいと思った。

 

④ 今回はクルーズと正倉院展などの抱き合わせのツアーを選んだが、クルーズを楽しむということに特化した方がよかったと思った。

 

以上

 

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初めての飛鳥クルーズ・2泊3日(2日目)

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ウォーキング教室

630分からのウオーキング教室に参加。

 

20人くらい7デッキに集まった。

インストラクターの指導でまずは簡単な体操。

正面に大きな島が見えた。インストラクターが伊豆の大島だと教えてくれた。

7デッキの甲板1400メートルがウオーキングコース。

5周ほど3000歩歩く。毎日1万歩が日課で、いつもより少ないが、一日船の暮らしでは歩くしかないから歩数は伸びるだろうと思った。

 

730分朝食に行く。メインダイニングで和食を選択。

ホッケの干物、肉じゃが、卵焼き、辛子明太子、しらすおろし、納豆、温泉卵、シジミの味噌汁、漬物などいろいろあったが、普通の朝食で特にサプライズはなかった。

 

朝食の後、11デッキのリドカフェでコーヒー、パン、サラダで2度目の朝食。

パンは美味しい。

それから、11デッキの船首部にあるティーラウンジ「ビスタラウンジ」でハーブティーをいただく。

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伊豆大島

船は伊豆大島を周回しているようだった。

大島の向こうにうっすらと富士山が望見された。

 

大島の向こう側に伊豆半島が見え、その奥に富士の姿があるのだと地図を見て位置を確認した。

 

部屋に戻ってうとうとしていたら、すぐにお昼になった。

昼食はリドカフェで洋食ビュッフェで名物のハンバーガーをカミさんと半分ずつ食べる。口コミで評判になっているほどには驚かなかった。何しろ朝を張り切って食べ過ぎた。食べ過ぎの影響かも知れない。

コンダクターは、何でも無料だから手当たり次第に食べること、美味しくなかったり欲しくなくなったら残せばいいんです。というけれど年寄りにはそんな「もったいない」ことはできない。

午後からはフィットネススクラブで自転車こぎとウオーキングをする。

フィットネスクラブの利用のため、来る前にナイキのウオーキングシューズを買ってきたが、運動している皆さんは船内で使っている靴のままという人が大半だった。

 

汗をかいて、すぐ隣にあるスパに入り汗を流した。

汗をかいたので頭を洗う。と言っても汗をかいてもかかなくても、頭を洗わない日はない。

毛髪が少ないので乾かすという心配は全くない。

ということで今日も、飛鳥備え付けのシャンプーを使って頭を洗う。

 

体は昨日、ボディシャンプーで洗ったので、今日は手に付いた頭部シャンプーの泡で手の届くところを洗った。ところが、これが失敗だった。夜中に身体がかゆくなって目が覚めた。耳たぶや体の敏感な部分に発疹が出た。「シャンプーで体を洗う人なんかいませんよ。」とカミさんに笑われたが、腫れや湿疹、かゆみで数日悩まされた。

 

脱衣室で隣の人に「飛鳥は何度も利用されているんですか」と問うと「もう4~5回利用している。自分はここのお風呂が好きで利用するんです。夜のレストランの食事なんかには興味ないんです。」と話していた。いろんな人がいるものだと飛鳥初心者は思った。

お風呂から出て再び、ビスタラウンジでコールコーヒーなど飲む。

カミさんは緑茶を注文。メニューに日本茶とあるのは珍しいなと思った由。

 

船は伊豆大島から利島、新島まで南下して新島と神津島の間を通って、西進して一路紀伊半島に航路をとって進んだ。室内のテレビ画面に航行中の航海図面と船首方向の映像が常に生中継されている。

 

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この地図のように周回していたらしい。

 

 

 

 

夕方自室でくつろいでいたら突然、携帯が鳴った。

16時54分紀伊水道でM5.4の地震発生という緊急地震速報

船内放送は10分以上経ってから小久江船長から情報収集したが心配ないとの説明があった。

 

本日は18時15分から食事2班のグループが鑑賞できるウエスタンカーニバルショーが始まる。

イクラスの船室は舞台正面に特別席が用意されているが、我々一般船室はいい席を確保するためには並ばないといけないので17時30分くらいに部屋を出たが、もう大勢の人が並んでいた。

 

劇場は300人くらい入る。

私たちは後ろから5列目の席を確保できた。

今回は田辺靖雄&九重佑三子、尾藤イサオ鈴木ヤスシ、田代みどりの出演。

 

私は子供のころから歌謡曲派で、ロカビリーやウエスタン調やグループサウンズなどにはあまり関心がなかったけれど、あらためて聞いて、確かに青春時代に口ずさんだ歌の数々だった。

ショーの終わりころ舞台で一緒にと、じじ、ばばに声がかかると、30人を超える、ババ様たちが舞台に上がり、歌手の熱唱に合わせて当時のダンスに興じた。ババ様は強い。

 

今回の飛鳥ウエスタンカーニバルショーは同時代を生きたものとして実感できる楽しいショーだった。

これを追っかけているおばあさまたちがこんなにもいるのだ。これも飛鳥の船旅の楽しみ方なのだろうと初心者はいたく感心した。

 

1945分からメインダイニングで夕食。今夜も洋食。

服装は昨日はインフォーマルだったが、今夜はカジュアル。

メインディッシュは4種類。

 

シェフのお薦めがじっくり煮込んだ牛ほほ肉のシチュートリュフの香りとメニューにあった。

私は素直にシェフに従った。

二つ目は、イベリコ豚の香草焼き、ラタトゥイユを添えて、カミさんはこれを選択。

三番目は金目鯛のソテー、四番目が季節の温野菜料理だった。

 

料理通でもない私などは洋食の長ったらしいくどくどとしたネーミングに気力を失い、シェフお薦め志向になってしまう。

書き忘れたけれど、昨日のメインデッィシュは、黒毛和牛ロースのグリエだった。

 

本日も生ビールと白ワインをいただく。

夕食の間、バンドが客席を回って、リクエストを受けてくれる。

まずは誕生日の乗客にハッピバースデー。

 

我々の席に来た時、Bさんが「上を向いて歩こう」をリクエスト。

なかなかいい選曲だと感心した。とっさには思いつかないものだ。

飛鳥数回の経験のなせる業か。

 

Bさん夫妻は今夜はご主人が生ビール、奥さんは赤ワインを召しあがった。そしてダンスに急いだ。

 

それにしても皆さん、携帯電話での緊急地震速報設定は全くしておらず、船長の船内放送があるまで知らなかったとのんきだった。

 

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初めての飛鳥クルーズ・2泊3日(1日目)

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横浜港到着 バスの窓から飛鳥が見えた

新聞の折り込み広告で飛鳥Ⅱで行く2泊3日「ウエスタンカーニバルクルーズ」を見て、カミさんにこれはどうかと尋ねると「いいんじゃない。」と二つ返事だった。

カミさんが飛鳥のクルーズに憧れているのを知っていたので、これまで支えてもらった感謝の気持ちを込めてのささやかではあるが、年金生活に入った私たちにとっては豪華な旅行のプレゼントとなった。

 

 横浜~神戸「飛鳥」クルーズの旅、航海中に昭和40年前後のウエスタンカーニバルショーなどを鑑賞する。

 

横浜駅に14時30分集合。今回の旅行には静岡と広島、岡山から24人が参加した。

横浜駅でツアーコンダクターのAさんに引率され、富士急行の貸し切りバスに乗り込み、横浜港飛鳥埠頭に向かった。

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船室の様子

16時前に飛鳥に到着。バスの中で少し待たされて、16時10分乗船開始。

 

我々の部屋は8デッキ。シングルベット2台とソファー、一応バルコニー付き。

長期航海に備えて、引き出し付きの家具が三つ、洋服掛けのハンガーは一人当たり10本以上あった。

 

出航は17時丁度。その前に16:25分から救命ボートが設置してある7デッキで避難訓練があり、ここでは参加者の点呼があった。欠席者には自室のドアに訓練の説明書を配布していたが、90%以上参加していたように思った。

 

飛鳥デイリーという日刊の情報誌(毎朝7時頃船室のドアの下に差し込まれる)によると今日の乗船開始は15時~で乗船直後はウエルカムドリンクやスイーツのサービスがあったようだが、私たちは乗船が遅れたためウエルカムドリンクは間に合わず、避難訓練が終わった後にデッキでのセイルアウェイパーティーでアルコールサービスを受けながら出航風景を楽しんだ。

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船上から、暮れなずむみなとみらい風景を。

どらが鳴り、汽笛が響く中、17時出航。

夕闇迫る横浜みらい地区のビル群に明かりがともり絵になる風景だ。

岸壁には数百人の観光客、見物人がペンライトを振って見送ってくれる。

 

印象に残る光景に見とれて、船が横浜ベイブリッジを通過するまでデッキ上にいた。

部屋に戻ってすぐ私は一人、12デッキにあるグランドスパに向かった。

 

中央にメインの風呂、両サイドにジャグジー風呂、奥に水風呂、入って右手にサウナがあった。

洗い場はお風呂とは逆の位置に2通りに分かれていた。

部屋にお風呂がついているせいか、乗船直後だからか、入浴者は10人程度でゆっくり入浴できた。

もちろん、窓の外は海、船はまだ東京湾内で遠くに明かりが見え隠れしていた。

 

夕食は2班に分かれる。

1班は17:30分~、2班は19:45~。私たちは2班だった。

 

今回の乗船客は満席で872人。

ロイヤルスイートとアスカスイートの乗客は高級レストランで別メニュー、でもそちらは少数だろうから、ほぼ800人の客が半分に分かれて夕食をとることになる。

 

夕食までの間私たちは、白人の歌手やダンサーによるミュージックショーを鑑賞した。

有名なタレントではないけれど、上質な歌唱力やダンスだったように思った。

その後、飛鳥Ⅱ専属のマジシャン「TAKUYA」によるマジックショーを鑑賞したが、これも上品なマジックで、楽しかった。

どちらのショーも出演者はビッグではないかも知れないが、洗練されたプロの実力の持ち主だった。

 

19時45分に夕食のレストラン「フォーシーズン・ダイニングルーム」に行く。

給仕等のレストランスタッフの9割は発展途上国の黒人系の人たちでたどたどしい日本語を使っていた。

本日は洋食のフルコース。

カミさんによれば、特に奇をてらわないが丁寧に調理された美味しい料理ということだが、私には平凡に思えて、何を食べたか特に印象にない。

飛鳥は料理がおいしいという評判だったので、期待しすぎたのかもしれない。

 

テーブルは岡山から一緒だったBさん夫婦とツアコンのAさん。

私たち夫婦は生ビールとワインを飲んだが、Bさん夫婦はノーアルコールだった。

 

Bさん夫婦は何回も飛鳥の船旅をしており、船旅は飛鳥が一番だと話していた。

夫婦ともにダンスが趣味で、これから始まるダンスタイムを楽しみにして、食事が終わるとそそくさと席を立った。こういう船旅の楽しみ方もあるんだと初心者は知った。

 

部屋に戻って持参した缶ビールを飲んで午後10時過ぎには就寝した。

 

 

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簡保不正から思い出したこと。

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皆さんは昨今新聞テレビを賑わしている、簡保不正問題についてどのように感じられただろうか。

 

わたしも最初は「まさかここまで」と驚いたが、一方で、郵便局ならありそうだな、とも思った。

というのも、ケースは異なるが、全く利用者のことを考えないという点に置いて、今回の事件と似たような経験をしたことがあるからだ。

 

平成18年だから、もう十年以上前のことになる。

一通の封書が、地区を管轄する郵便局からカミさん宛に届いた。

何事かと開けてみると、日本郵政公社総裁 生田正治名で

「非課税郵便貯蓄の限度額超過について」 とあった。

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郵便局からの通知

課税郵便貯金の預入総額が非課税限度額を超過しているため、すべての非課税郵便貯金を課税扱いとすべきだったことが判明したのだという。

 

そして解約の際に誤って税金相当部分を多く支払っているので、返済するようにということだ。その金額たるや306,616円である。庶民にとって少ない金額ではない。

 

カミさんには全く心当たりがなかった。

添付された資料を読んでみると、平成13年に亡くなった母親の郵便定額貯金のことであることがわかった。

母親の死後カミさんが相続していた定額貯金に相当した。

 

当時少額貯蓄非課税制度(マル優)という制度があり、母親は定額貯金について限度額いっぱい利用していた。

定額貯金は10年で満期となるが、その際、利子も一緒に預けかえていた。

その利子分が限度額超過にあたったというわけだ。

 

そして、この制度の悪用を防ぐために、超過した場合は、超過分だけでなく、すべての非課税分が無効になるということのようだ。

実際、複数の郵便局に預けたりして、限度額をごまかし、悪用された例もあるらしい。

 

しかし、カミさんの母親の場合は数十年来にわたって住み続けた、他に金融機関もない農村地帯の郵便局に預けていたのだ。家族構成から、マル優限度額の利用状況から、郵便局は熟知していたはずだ。

悪用のしようがないではないか。

 

預けかえで、利子も含めると限度額をオーバーする恐れがあれば、郵便局側から注意してしかるべきだと思う。いかに自己責任で管理すべきだとは言え。

 

そして人間ついうっかりということはあるのだから、限度額オーバーが判明した場合は、修正すればいいことで、悪用を防ぐための手立てまで持ち出して、罰金を課すようなことをすべきではないと思う。

悪用するような人間かどうかは、預けていた郵便局がよくわかっているはずだ。

 

カミさんは、書類を送ってきた郵便局にそう訴え、オーバー分については支払う意思があることを伝えたが、「規則ですから」の一点張りで全額返還を譲らなかった。

 

そんな中で一つおかしなことに気づいた。

 

「限度額超過について」の文書には、誤って多く支払った金額が

306,616円となっているのに対し、添付の一覧表には、お支払いしていただく税の合計が、335,824円になっているのだ。

 

この金額の違いについて電話で質問したところ、「現在担当者出張中でわかりません」とのことだった。

月曜日には出張から帰って来るので、返答しますとのことだったが、返答はなかった。

重ねて電話してみたが、出張中の一点張り。

そしていつ帰って来るのかは不明。帰り次第連絡しますとのことで、現在に至っている。

 

「おとなしく払うところからは取れ。面倒なことを言われたり、こちらが不利になりそうだったら、無視しろ。」

ということだったのだろうか。

 

私達のケースも簡保不正と同根の、お客様不在の上から目線の扱いだったと思わざるを得ないのだ。

 

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戸籍に残された、早世した兄姉の記録

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ミソハギのはな。当地では「ぼに(ぼに)ばせ」と呼び、お盆の供花として用いる

先日、弟からメールがあった。

父の戸籍の中に昭和25年に亡くなった姉の名前が見当たらないという内容だった。

私たち兄弟姉妹は元々6人いたが、昭和19年に兄が2歳で亡くなり、昭和25年に姉が5歳で亡くなっていた。

 

従って戦後生まれの我々兄弟は、早世した兄も姉も私が生まれる前のことだったり、生まれていても小さくて覚えていない。昭和26年生まれの弟は存在すらしていなかったことだ。

弟のメールには5歳まで生きた姉の存在が現在の戸籍で証明できないのはかわいそうな気がしますとあった。

 

そこで、長いこと行政で戸籍事務に携わっていた知人に聞いてみた。

知人の話によれば、旧戸籍法では一族はすべて戸主の戸籍に記載されていた。

 

昭和22年に現行戸籍法が制定され、昭和23年に施行された。

これにより結婚にともない新戸籍を作り、戸主の戸籍から独立することになった。

いわゆる家制度が否定されたわけだ。

 

何分、膨大な数の新戸籍である。

新戸籍編成の作業は数年間の経過措置の中で進められた。

従って新戸籍編成が間に合った人、間に合わなかった人によって、新戸籍に記載された人と、旧戸籍に記載されたままの人に別れたというような話だった。

 

ということで姉の場合は間に合わなくて、旧戸籍の戸主(祖父)の戸籍に記載されていることが判明した。

 

昭和22年生まれの私は、いったん祖父の戸籍に記載されたうえで、新戸籍編成に伴い、父の新戸籍に記載されというわけだ。本来ならば、姉の戸籍も父と同じ戸籍に編成されていたはずだが、父の新戸籍ができたのは、昭和26年3月3日。

この年、弟の出生届と同じ日だ。

出生届が出たことで、大急ぎで新戸籍を編製したと推測できる。

 

 

そしてもう一つは、戦時下、二歳で亡くなった兄のことだ。。

 

もう20年も前のことだが、亡くなっている兄の名前が父の戸籍に抹消されずに残っていることに気が付いた。

これはどうしたことかと思いながら、このまま放置してはいけないだろうと考えて町役場に相談すると、本籍地を管轄する広島法務局に連絡を取ってくれた。

 

そして、法務局から電話が入った。恐らく戦争中の混乱が原因だろうという。

戸籍を抹消する必要があるので、亡くなった当時の具体的な状況、戒名などを調べること。

そして両親等当事者から直接事情聴取したいとの連絡があった。

 

当時、父親が存命していたが記憶が衰えていた。

位牌も戒名を紙に書いて張り付けていたがいつしか剥がれて、思い出すことも困難な状態だった。

 

過去帳を持つお寺さんは本堂の火災で過去帳を消失していた。

当時、リハビリのため父親に付き添って散歩していたカミさんが、突然父の口から「真月了然童子」という戒名が突いて出てびっくりしたといった。

これが戦争中に亡くなった息子の戒名ですと言ったという。

父親は必死で、息子の戒名を思い出していたのだった。

 

 

兄が亡くなったときの詳しい状況は横浜に住んでいた叔母が、法務省からの問い合わせの電話に対応してくれた。

荼毘に付す際に燃料を用意しなければならなかったこと。

苦労して燃料を集め、男手がない中を、炎天下大八車に薪を積んで運んだという話に現実味があった。

「本当にいい子だったんでございますよ。どうぞ成仏できるようにしてやってくださいましね。」と涙ながらに訴えてくれたという。

 

広島から来た係官との面接が役場であった。

父を連れて面接に立ち会った。父は立派に受け答えしていた。

係官は十分に納得した様子だった。

かくして実に半世紀を経て戸籍が訂正された。

 

早世した二人の兄姉が戸籍に残した思い出話です。

 

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もみ殻燻炭で、たい肥の効果アップ

(昨日からの続き)

 

一つだけ気をつけたいことがある。

作り方によるのかも知れないが、生ゴミ堆肥は酸性が強いということ。

植物によっては害がでる。

最初のうちはこのことがよくわからなくて、色々失敗した。

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アシタバ

ある時、何度植えてもよく育たない明日葉(あしたば)に、ふと思いついて籾殻くん炭をほどこしてみた。すると劇的に効果があった。

 

 

アスパラガスも堆肥を施したあとに、くん炭を与えると良い影響があった。

鉢植えではうまく育つが、地に下ろすと枯れてしまうルバーブも多分酸性が良くなかったのだろう。くん炭効果ですくすく育っている。

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実生のトマトも元気いっぱい

 

酸性を好むトマトや、山椒などはわが意を得たりとばかりに、ご機嫌な成長ぶりだ。

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もみ殻燻炭

籾殻くん炭はホームセンターなどで、一袋500円くらいで簡単に入手できる。

 

少し元気がないなと思ったら、堆肥を施したり、ご機嫌が悪いと思ったら、くん炭を与えてみたり、植物の顔色を見ながらの庭仕事は、実に楽しい。

 

 

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堆肥つくり三段活用 パリキューブと、EMと、コンポスト

以前パリパリキューブのことを書いた。↓

https://inoko2019.hatenablog.com/entry/2019/05/20/172514

 

ゴミの減量に特化した製品なので、堆肥にして利用するにはあと一手間が必要だ。

そのことを書いてみたい。

 

パリパリキューブで処理した生ゴミは、水分が減っているだけで外見が大きく変化しているわけではない。また、量は減るけれど原則毎回取り出すことが必要だ。

その取り出したものを我が家ではもう2段階処理して、堆肥にしている。

 

まず、写真のEMバケツに入れてEMぼかしというものをかけ、密封して発酵させる。

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EMバケツとEMボカシ

以前は生ゴミを直接EM処理していたが、水切りをしっかり行うのはなかなか困難だった。

うまく発酵すると、糠味噌のような香ばしい香りがするとのことだったが、失敗した糠味噌のようになってしまうことのほうが多かった。

 

ところがパリパリキューブで処理したものは、水分がしっかり切れているのでEM発酵が実にうまくいく。

香ばしい香りとまではいかないが、悪臭に悩まされることなく再処理ができる。

量が減っているので、このバケツに一ヶ月くらい投入を続けられる。

EMバケツは2つ用意して、交互に利用する。

 

2つのバケツがいっぱいになったら、先にいっぱいになった方を写真のコンポスト容器に移して、更に発酵させて完熟堆肥となる。

コンポスト容器も2つ用意して、積み替えながら交互に利用する。

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コンポスト

詳細は煩雑になるので省くが、いきなり生ゴミコンポストに入れて発酵させていたときに比べ、数段うまく行くようになった。

虫や悪臭が発生しないのが、一番いいところだ。

 

さて、完熟堆肥ができたら植物に与えるのだが、利用方法がよくわかっていなかった。

初めの頃は、土に混ぜたり、元肥として利用したりしていたが、NHKのベニシアさんの番組を見ていたら、混ぜたりしないで土の上に置いていた。

徐々に浸透して効果が出てくるということだ。

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秋海棠(しゅうかいどう)も元気いっぱい

それを真似てから、堆肥の効果を実感できるようになった。

完熟した堆肥は見た目は土と全く同じ。

庭の色んな所に撒いてやると、すぐに効果が現れる。

堆肥を施した植物は驚くほどに色艶が良くなり、大きく成長する。

生えてくる雑草も、実に勢いが良い。他のところに生えた雑草と比べると堆肥の効果が一目瞭然だ。

雑草にも効果があるのは困ったことだが、堆肥を撒いているところは土がフカフカなので、たやすく抜ける。

 

堆肥を施せば畑の土もフカフカになるから、作物がよく成長する。

しかも味が良い。

 

この項続く

 

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